ちょっと難しいはなし 命の不条理

2023/7/24

日経新聞の土曜版「なやみのとびら」

一般の方から来た相談を、作家、脚本家、お笑い芸人などいろんな職種の方が回答している。
私は特に脚本家の大石静さんの回答が好きで、飾らない言葉選びを楽しみ、且つ毎回考えさせられる。

今回は、70代男性の方の悩み相談だった。
『身体の不具合と向き合いながら暮らしている、「何歳まで生きればいいか分からない時がある。」亡くなった母が「お迎えが来ないからしょうがないねえ」と言っていたが、そんなものでしょうか。』
というものだった。
最近、母の老いと接しているうちにやっぱり生と死について考えるようになり、大石さんはどんな回答をするのか気になった。
そのまま少し引用してみる。

 人は自分の意思に関わりなく生まれ、自分の意思に反して死んでゆく、極めてむなしい存在です。
 待ち望まれて生まれ出る赤ん坊でさえも、死に向かって生きる宿命を、誕生の瞬間から背負っていますから。
~中略~
 私はよく思うのです。「今、人生を終わりたい。」と思う瞬間に命を終えることが出来れば、きっといい人生だったと思って死ねるであろうと。
 でも誰も苦痛なくして殺してはくれないし自分で死ぬ勇気も当然ありません。
 そしてあなたのお母様が言われたように「お迎えが来ないからしょうがないねえ。」という心境になるのです。
 命ある限り、何か楽しいことを見つけて明るく過ごした方がいいですよ、なんてのんきなことを言う気は私には毛頭ありません。あなたの心持ちはそんなことで解消しないことが分かるからです。
 ですから、何の救いにもなりませんが、死の恐怖と、死へのあこがれの両方を持ちつつ、命の不条理の中で、生きていくしかないんじゃないでしょうか。

息子は母に、行けないとしてもどこか行きたいところはないの? やってみたいことはないの? と少しでも前を向いてもらえるように話をしてくれる。大石さんのお話はもっともだけど、肉親が年老いたらやっぱり何か楽しいことをみつけて過ごそうよと全力で言いたくなる。これからも言い続ける。



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